『およげ!たいやきくん』のたいやきくんは、『臨死体験』をしていた?

空前のヒット曲『およげ!たいやきくん』、子供の頃よく聞いていた。子供受けする曲でもあったと思うが、突っ込み所の多いストーリーに、この歌の魅力があったのかもしれない。

たいやきが、どうやって海まで行ったのか?とか、海から釣り上げたたいやきをどうやって食べるのか!?などなど、突っ込みたいところは、幾つもある。
もちろん、子供の間の話ネタであって、笑い話で終わってた。

ところが最近、テレビだかラジオか、媒体は何か忘れたが、何十年ぶりかで、この歌を聴いたところ、ふとあることに気づいた。

この歌のストーリーは、『たいやきくん』にある仮定を付けると、うまく辻褄の合う話になるということだ。
以下に、少し詳しく考察してみよう。

たいやきくんが、海で泳いでいるところを『臨死体験』と仮定してみる。つまり、たいやきくんが、海で泳いでいる世界は、現実(?)の世界ではなく、死に臨むものが見るという形而上的な世界ということである。

では、たいやきくんは、何処から『臨死体験』に入って行ったのか。
歌の歌詞で、『店のおじさんとけんかして』というくだりがあるが、これは、店のおじさんが、お客さんにたい焼きを売ったと解釈できる。
ここでいうお客さんとは、歌の歌詞の最後に登場する浜辺での『見知らぬおじさん』である。

つまり、『たいやきくん』からすると、『鉄板の上で焼かれ』美味しそうに出来上がり、つまり、この世に生を受けた(?)状態から、『見知らねおじさん』に食べられるために買われて行く過程の一部面にあたる。


別の言い方をすれば、原材料の小麦粉から形ができ、あんこが入り、売りものとして、店のおじさんの手から離れ独立する。
歌の歌詞によれば、『海へ飛び込んだ』とのことなので、つまり、この部面から『臨死体験』の世界に入ったと考えられる。


また、言うまでもなく、食べられてしまうということは、『たいやきくん』にとっては、『死』を意味する。

しかも、『見知らぬおじさん』としては、出来たての温かいうちに、食べてしまいたいから、『たいやきくん』としては、買われておじさんの手に渡った瞬間には、もう死はすぐそこに、迫っているわけである。

この臨死状態の中で、『たいやきくん』は、現実を遊離した形而上的な世界の中で『存在』することになる。

臨死体験のひとつに、フラッシュバック現象があるが、歌詞の中にあるたいやきくんの生き生きした海の中の、しかも、極めて断片的な様々な体験は、まさに、フラッシュバック現象と思われる。

だが、ここで問題になるのが、小麦粉を原材料としてできた『たいやきくん』が、なぜ、『楽しいことばかり』の海の体験を甦らせることができたのか。

この問題を考えるためには、たいやきくんの過去世が、実際の海の中で泳いでいた『鯛』だったと仮定するしかない。
つまり、過去世の体験が、現世の最終段階の『死』に臨むとき、フラッシュバック現象として、現れるということである。
ただし、こういう説が存在するかは、私は知らない。

以上、『およげ!たいやきくん』のたいやきくんの海の体験を『臨死体験』と仮定したわけだが、勿論、仮定そのものに学術的な根拠はない。